おこたんちへ ようこそ
母親としての私の「こころ」の失敗のお話。
我が子から、頼れない存在。
甘えられない存在。
守ってもらえない存在。
と認定されていた母親です。
子どもの心に気づけなかった母親の心の切り替えのお話です。
私たちの「こころ」は、二種類あるといいます。
ひとつは、「思いやり心」
もうひとつは、「自己中心の心」
この二つの心が、瞬間的にくるくると入れ替わるように、私たちの「こころ」はあります。
例えばの話です。
電車に乗っていると見るからに白髪の男性が乗っていらした。
私は座っています。
すぐに立ち上がって
「お座りになりますか?」
と声掛けをする。
この時の私の「こころ」は、思いやり心です。
すると男性の返事が
「ふざけるな!人を年寄り扱いするな!!」
と怒り出した。
こんな方は、めったにいらっしゃいませんから、大げさな例え話です。
その瞬間、私の「こころ」は、自己中心の心へ変わってしまいます。
「は?そっちこそ、ふざけるな!」
となっちゃいます。
瞬時に「こころ」は入れ替わりましたね。
このように私たちの「こころ」は、
くるくると思いやり心と自己中心の心を行き来するんですね。
13歳の長男が寮生活をするにあたって、長男の「こころ」に全く慮ることなく過ごしてしまった私。
大切な長男に『死にたい』とまで追いつめてしまいましたした。
- ・可哀想な事をしたと、いつまでも嘆き悲しみ、自分を責め続け、親子で落ちていく
- ・至らない母親であった事を認め、謝罪し、今後の最善を考え行動する
あなたはどたらの心を選びますか?
1.の「こころ」は、自己中心の心です。自己憐憫の囚われの心です。
2.の「こころ」は、思いやり心です。反省し前を向く建設的な心です。
人は必ずと言っていいほど、失敗をします。
大きな失敗。
小さな失敗。
色々ありますね。
その時に、どうするか。
バレなければいい。
適当に誤魔化していればいい。
他人のせいにすればいい。
一見、それで問題が片付くように思われます。
でも、その時の「こころ」は、どうでしょう。
自己保身の心。
嘘が発覚したらと他人への疑心暗鬼の心。
こんな状態の自分は、お好きですか?
胸を張って生きていけますか?
幸せです!!と言い切れますか?
いよいよ学校へ戻る日が来ました。
私は長男が戻るのを嫌がれば、それを認めるつもりでした。
ですが、長男は自ら荷物を車に積みだしました。
全員が、寮に戻る時間の1時間前に到着。
先生に頼んで、先に荷物を入れだしました。
長男と夫と次男もお手伝いしました。
私は、雑巾をお借りして、寮中を拭いて回りました。
仲間に「臭い。汚い。」と言われたんです。
私は
「ご迷惑をお掛けしました。どうぞ今日から改めてよろしくお願いいたします。」
と独り言をいいながら拭いて回りました。
前向きな心です。
思いやり心です。
会議室のホワイトボードを拭こうとすると落書きがありました。
答え YES
瞬間「ふざけるな!」怒りの心です。
その時、長男の布団をベランダに投げ捨てた子が入ってきました。
怒りの心のまま、その子に会ってしまい、私の頭の中はぐるぐるです。
どっちの心で話すの?
まじまじとその子を見てみると、その子もたった13歳の子供なんです。
彼は彼の役割を淡々とこなしただけなんですね。
むしろ、長男にはいつも迷惑をかけられて困っていたんでしょうね。
私が選んだのは思いやり心。
お「〇〇が迷惑かけて、ごめんね」
友「あ、いえ」
お「〇〇は、悪くないんだ。悪いのはおばちゃんなんだ。」
友「えっ」
お「何にも出来ないのは、おばちゃんがちゃんと教えてないからなんだ。
本当にごめんね。」
友「いや。僕も何にも教わってないですよ」
お「有難う。でも、ちゃんと自分の事できてるよね。
いいお母さんだよね。」
友「そんなこと・・・」
この子は大学生になっても我が家に遊びに来る子でした。
私が自己中心の心で向き合っていたらどうなっていたでしょう?
この日から、毎日毎日、長男に葉書を書いて送るようにしました。
文面の1行目には必ずこの一言。
〇〇君、今日も元気にいてくれて、ありがとう!!
母親って息子に自分のあこがれを押し付けてしまうことってありませんか。
こんな素敵男子がいてくれたら~♡
我々の頃は、姑に文句言われない完璧な子育てをしてやる~
みたいな・・・誰に向かって誰を育てているか意味不明になっている。
私は間違いなく意味不明な子育てをしていました。自己中心の心の子育てです。
私はこの一件から、こんなバカな自己中心の心子育てから卒業できました。いや。しました。
これだけ、いや、これこそが一番大切な事だと気づけたのです。
今、この地球上に生を受けて、楽しく自分を一生懸命に生きるという事を長男が教えてくれました。
これが中学1年生の秋でした。
親の心が軌道修正できたことで、長男の状態はずいぶんと落ち着いていきました。
長男も寮生活に慣れるように努力してくれました。
この葉書は、長男が高校2年生まで続きました。
長男自身が「もう、葉書が来なくても大丈夫だよ」と言うまで続けました。
別の言い方をすれば、長男の「こころ」が修復され、自己肯定感が確立されるまで、これだけの時間が必要だったということです。
他人の「こころ」の心配をしている暇があれば、
自分の「こころ」を見直して、必要なら勇気をもって変える努力をしないといけません。
これは、親子でも夫婦でも同じことです。
ひたすら自分の「こころ」に注目するしかないのです。
どんな状態の長男でも受け入れ認めてあげれる私の「こころ」を作ることに集中した結果です。
長男は長男で自分の「こころ」に向き合ってきた結果です。
そんな長男の学校での癒しの場所が<保健室>だったというお話でした。
ではまた、ゴロゴロしに遊びに来てくださいね♡